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そういえば、二年近く前に一度引越しをしたんだけど、その時、小田急線沿いと中央線沿いの両方の物件を探していた。

それで、時間の関係もあって、それぞれの不動産屋で勧められたところに行ってみたのだけど、小田急線沿いと中央線沿いでは勧められた物件に明確な差があった。その違いが決定打になって、小田急線沿いの方を選ぶことになったのだ。

その差とは、同じ家賃帯で探した場合、小田急線沿いで探した方が広くて綺麗な物件が多かったということだ。もちろんこれは、中央線沿いの不動産屋が早めに埋めておきたい物件を優先的に案内していた、という理由もあるのかもしれないけれども、そういうところも含めても、その差は明らかだったのである。それはとても意外な発見だった。

中央線沿いは再開発も進んで、いまや人気のエリアで一種のブランドになっているらしい。当然そうなると、相対的に家賃が上がるのは理解できる。一昔前までは、中央線沿いといえば家賃が安いイメージだったのが、今はそのような状態ではなくなっているようなのだ。そして、それに伴い、人々の中央線沿いに対する人々のイメージも変化している。

ある程度、年齢的にいっている人からすれば、中央線といえば、いわゆる旧来の「サブカル」文化圏というイメージを持っている人も多いのではないだろうか。それは言いかえるなら、「貧乏カルチャー」とも親和性が高いものでもあった。その前提が今、崩れているのかもしれない。

確かに、西荻とか阿佐ヶ谷とか高円寺とか中野とか新宿とか、中央線には「サブカル」の聖地のような場所が多くある。けれども、その「サブカル」はもはや伝統芸能のようになっていることを、この中央線のブランド化は象徴しているように思えた。

中央線沿いの歴史ある「サブカル」界隈は、ひとつのスタイルでありコミュニティにすらなっている。それは成熟した姿ともいえるだろうが、と同時に、安全なものとして社会的に包摂されたという側面もあるように思われる。

では、かつて「サブカル」を生み出したような土壌は、今、どこにあるのだろう。

それは例えば、「シェアハウス」とかそういった形で、東京の各地に点在しているのかもしれないし、空間としての「場」にとらわれることなく点在しているのかもしれないし、もしかしたら、いわゆる「オタクカルチャー」にその水脈は受け継がれているのかもしれないし、インターネットの中にしかないのかもしれない。

けれども最近思うのは、別に「サブカル」界隈にいなくても、好むと好まざるを関係なく、どうしても「サブカル」的になってしまう人というのは何処にでもいるということなのだ。

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