オーストラリアと日系人真珠貝ダイバー。

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先日、オーストラリアに渡った日系人の歴史に関するトークイベントに行ってきました。知らなかったことが盛りだくさん。和歌山県にある本州最南端の町、串本町から1870年代明治初期頃に、真珠貝ダイバーとして、日本からオーストラリアに移住した人々のお話。

最初、真珠貝ダイバーと聞いて、真珠を採ることを主要な目的として海に潜る人のことかと思っていたのですが、真珠貝を採る主要な目的は、真珠貝の殻の方だったそうで。その貝殻をくり抜いて、ボタンを作っていたのです。あの衣類などに使用するボタンですね。

当時、ボタンというものは高級品だったらしく、それを西欧諸国の富裕層に売っていた、ということでした。もちろん、真珠自体も見つけたら、それも採って売っていたようなのですが、それはボーナスみたいな扱いだったらしく。今は人工的に、貝の中にコアを入れて真珠を作っていますが、元々は、どの貝にも入っているものではないですからね。

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トークの内容は、やはり、世界大戦中の出来事にも言及されました。当時、イギリスの強い影響下にあったオーストラリアは、国内に滞在していた大戦における敵国の人々、日本、ドイツ、イタリアの人々を、捕虜として特定の場所に住まわせたのです。

そんな中で日本の人々は、大きな脱走劇を演じることになります。1944年8月5日、オーストラリアのカウラで起こった日本兵捕虜脱走事件、通称「カウラ・ブレイクアウト」です。捕虜収容所としては、史上最多の人数(日本人収容者数1,104名の内、545名以上)が脱走を試み、その死者数235名(オーストラリア人4名、日本人231名)、日本人負傷者数108名。

このような事件があると、どんな劣悪な環境だったのだろうと思いますが、生活の環境自体はかなり充実したものだったようです。そこでの生活者と管理する側のオーストラリアの人も、その多くは友好的だったそうで、今でも、その頃の同窓で集まる会が設けられているそうです。

大脱走は、やはり、兵士としてのプライドのようなものの成せることだったのかもしれません。カウラにはその時に亡くなられた人たちの墓があるのですが、その中には、名前すらも分からない墓もあるそうです。その理由は一説には、捕虜になるということがとても恥ずかしいことと思われていたので、名前を告げることができなかったからだ、と言われています。

真珠貝ダイバーとして海を渡った串本町の人々の多くは、そのままオーストラリアの地に根付き、今も暮らしているそうです。

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