この記事の所要時間: 122

ガンジス川で沐浴すると、それまでの罪が洗い流せるという。これはいうなれば、自らの身に付いた「負」の情報を川の水に溶かしこんで、身体から川へとその情報を移しかえるということだ。そして、人の清濁のすべてを飲み込んで、川は海へと流れ込んでいく。このような風習が誕生していることからも分かるように、人はずっと以前から、過去の自らの経験の記憶に苦しめられてきた。その救いとしてインドでは、ガンジス川に罪を洗い流すという風習ができたのだろう。

これは一種のイニシエーションのようなものだが、それによりサステイナブルな社会体制が作り上げられてもいる。つまり、個人的な生きていくための知恵という側面だけでなく、集団的なものが作り出す秩序の補完としても機能しているのだ。もし、そのような苦悩の行きどころやはけ口がなければ、そこから綻びが生まれ、その秩序自体が内側から「死」へと向かっていくことになるだろう。

ある風習が編み出されるところには、個人を集団と接続するための紐帯のようなものが作られる。その紐帯の総体の多くは宗教として結実していたりするものだが、これを現代の日本社会に当てはめてみるとどうだろう。日本では、取り返しのつかないような失敗をした場合、自殺という方法を取って情報の消去を試みる傾向があるが、これもまた、死者はみな仏になって罪が洗い流せるという文化的連続性の上での発想に基づいているのかもしれない。

つまり、現在の日本においては、罪を洗い流すこと、情報を消去することと、死ぬことは近接していることになる。これが生き続けることの「苦悩」を形作る要素のひとつだろう。