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盛岡冷麺/IMGP0374

例えば、東北。
仙台の牛タン、盛岡の冷麺、じゃじゃ麺。

仙台の牛タン発祥の歴史はこうだ。
「太平洋戦争後、仙台にもGHQが進駐した。その際、大量に牛肉を消費する駐留米軍が残したタンとテールを有効に活用するために、1948年(昭和23年)、仙台の焼き鳥店「太助」初代店主・佐野啓四郎が、牛タン焼きの専門店を開業したことが 「仙台牛タン」 の始まり。」(wikipedia:「牛タン」

盛岡の冷麺はこう。
「朝鮮半島北部(現・北朝鮮)の咸興(かんこう、ハムフン)生まれの在日韓国・朝鮮人1世の青木輝人(朝鮮名:楊龍哲(よう りゅうてつ、ヤン・ヨンチョル:양용철))が、1954年(昭和29年)5月に盛岡でテーブル4つの「食道園」を開業し、店で出したのが最初である。料理人としてのプロの技術を持たなかった楊は、自分が子供のころに食べた咸興の冷麺を独力(独学)で再現しようとした」(wikipedia:「盛岡冷麺」

そして、じゃじゃ麺はこう。
「戦前、旧満州(現在の中国東北部)に移住していた(後の「白龍」(パイロン)の初代主人である)高階貫勝が、満州時代に味わった「炸醤麺(ジャージアンミエン)」を元に、終戦後の盛岡で日本の食材を使って屋台を始め、そこで盛岡人の舌にあうようにアレンジをくりかえすうちに、「じゃじゃ麺」としての独特の形を完成させたといわれる。」(wikipedia:「盛岡じゃじゃ麺」

僕が東北地方に行った時に印象的だった「名物」は今挙げた3つなのだけれども、これらは全て、比較的歴史が浅く、しかも海外にその起源を有する。そうすると、その土地に住む人たちのアイデンティティってどうなっているんだろうという疑問が浮上しても、それはそんなに不思議なことではないのではないだろうか。このことについて様々な観点から語ることが出来るが、今回は自分の経験や感覚に引きつけてその疑問についての見解を述べることによって、思考のスタート地点を示してみたい。

僕自身は山口県という本州の西端に位置する土地の出身なのだが、正直、地元の郷土料理といってもあまりピンとこない。その土地で取れた食材を使った料理、くらいの感覚だ。「瓦そば」とかそれっぽいのもあるけれども、別にそれがアイデンティティの一部なんて思わない。他の土地の出身者からは「フグが有名だよね」とかよく言われるけれども、「ああ、下関で採れるよね」、くらいの感じで自主的に話をそれ以上膨らませたりはしない。別にフグがそれなりに高級食材だからということで、誇りのようなものはほどんど生まれない。まぁ、「下関の駅そば屋にはフグ天そばがある」とか、そういう小話くらいはするけれども。

他には庭とかに出来ている採れたての「たらの芽」をその場で天ぷらにしたり、新鮮なイノシシや鹿の肉、豊富な魚介類があるとかそれなりに豊かな食生活は出来るが、別にそれらが土地のブランドを形成するというほどのものでもない。偶然そこで採れるからうまく料理して食べてる、って感じだ。あと、なんか同じクオリティのものを都市部で食べると何故かえらく高価になったりとか、採ってから一分以内で食べるとかは離れた都市部では物理的に無理、とかいうことはあるかと思うけれども。

それだって自分のアイデンティティにとってはそんなに重要なものではないように思う。まぁ、採れてたものが採れなくなくとかだったら、やっぱり採れた方がいいとは思うけれども。

そんな郷土料理の味以外にも、個別に思い出深い食べものというものもあるだろう。例えば、学校に近くにあった広島風お好み焼き屋さんとか、うどん屋さんとか。そういうソウルフードみたいなのは個別に存在する。けれども、それらは個人の物語によるところが大きいものであり、一般性に乏しく「名物」と呼べるものではない。

つまり、僕が体感的に思っているのは、伝統的な郷土料理というものは、対外的な要請によって形成されるところが大きい、ということなのだ。なにか「名物」というものが「歴史的に長く続いていなくてはならず、その地で発祥したものものでなくてはならない」というのは、観光者の視線によって形成された必要性なのではないだろうか、ということだ。

もちろん、その土地その土地で多かれ少なかれ固有の食文化はあるが、それを意識しながら暮らしているわけではない。それらを意識するのは、例えば、一度、地元から離れて戻ってきた人とか別の土地からきた人であるとかそんな場合。

確かに、京都料理とか、長い歴史の中での洗練が価値を創出することも当然あるだろう。それはある種の美学的なものでもあり、アイデンティティにも直結したものでもある。しかし、そのようなアイデンティティを伴った洗練が可能になるのは、特殊な環境が必要になってくる。宮廷料理とか貴族文化とか、そんな前提がある程度、必要になってくる。それらは、その土地の食文化の全体からみると「特殊」の部類に入るのではないだろうか。

食文化自体、どこから伝わったものであっても、その土地で独自の進化を遂げる。その環境に適した形で変化したものが、地元の「名物」としてのシェアを獲得していくのだろう。それに極端なことを言えば、稲作も大陸から伝わってきたもので外来の食文化なのだし。

ただ、このようなあっけらかんとした食文化への意識も歴史的、環境的に形成されたものでもあるのではないか、という問いも生まれる。

例えば、明治維新の時、山口は長州藩であり、戦に勝った側だった。僕の母方のルーツは実は東北地方にあるのだが、僕自体は生まれた時から18まで山口で育った。歴史の忘却は、だいたい忘れることによって都合の良い側からなされる。僕がその忘却の中にいないとも限らないのだ。

その食文化の伝わり方や発展の仕方はその土地の固有性に大きく影響を受けるものだろう。そうであるのなら、そこに意味を読み取ることも可能だ。そこにどのような物語を読み込むのか。ご当地の「名物」に歴史的な必然や社会的な構造を読み込むということで見えてくる日本像というものもあるだろう。

こういった観点によって、ただ肯定し受け入れるのみだけではなく、そこから一歩踏み出した地域への視線というものが成立していくのではないだろうか。

ここに地域の食文化から日本の構造を読み解く観点が提示される。

photo by: flashingwind