この記事の所要時間: 151

専業のライターとしては僕は、「書く」スピードや分量は少ないほうなのだと思う。書き始めがなかなか出来こないことがあったり、途中で進まなくなってしまったり。その多くは考えすぎてしまっていることによるのだが、そのような執筆のスタイルから、すこしずつ降りてみたいと考えている。具体的には、多作の、多くの文章を書くライターになりたいということなのだ。それは収入アップといった実利的なものもあるけど、自分の考えすぎた文章というものに、それほどの価値を見出せなくなっている、ということもある。極度に多方面からの配慮に満ちた文章というのは、結局のところすごくエゴスティックなもののように感じられて仕方がない。それによって僕は、ある種の「言葉」を喪ってしまっているような気がするのだ。つまり、言葉を発することのできないという失語とは違った意味で。その失われてしまった部分には、いろいろな曖昧で、だからこそ自分にとってリアリティのある表現がそこにあるはずだ。それがどんな文体に結実していくのかわからない。

もう一年以上、旅をしていてつくづく思うのは、僕にはもう「書く」こと以外のことは残されていないということだ。まだまだやってみたいことはたくさんある。けれども、いつもその傍らには「書く」ことが、まるで生きることのように横たわっていて、これはこうでしかありえなかったという諦念のようなものでもある。優れているとか求められるとないとか、そういった問題ではない。書き仕事では、今は自分の名で記事を書くことが少ない。現在の収入のほとんどは、記名無しのものだ。誰が書いたのか明確にわからないニュース記事やトレンド記事、旅の記事のなかに、僕の言葉は紛れ込んでいる。それはずっと旅しているから、書き続けられるものが限定されている、ということでもある。ときどき、書評の仕事をしたりもして、自分のもともとの専門分野の仕事もしているけれど、それにしたって、東京でずっとそのシーンを追っている人からすれば、ずいぶんと遠い存在になってしまった。もうよっぽどのことがないかぎりは、しばらくは日本に長期滞在することはないだろう。明確に別の道を歩まなければならない。その道を探し出すことが一番の「旅」なのだ。