この記事の所要時間: 210

2016年9月21日からはじめたスペイン巡礼の旅「カミーノ・デ・サンティアゴ」は、2016年11月7日に幕を下ろした。それで今、「カミーノ・ロス症候群」ともいえる状況になっている。いわば、目的を失ったような感覚になっているわけだ。カミーノ中は毎日、朝から重たい荷物を担いで次の町まで歩く。カミーノで前半で痛めた足は回復する間もなく、ちょっとしたマゾのように歩き続ける。

じつはこの痛みというのが、この巡礼の旅では重要なもののように思う。この痛みの始まりは、「フランス人の道」の初日の通過儀礼になっているピレネー山脈越えによってゲットしたものだが、これが巡礼者たちが共有する痛みとなっているのだ。ある巡礼宿で出会ったフランス人男性の、「みんなが痛みを抱えている」という言葉が心に残っている。その言葉は、具体的には足の痛みを指していたものだが、そのなかには、もっと抽象的な内容も含んでいた。

この痛みとは、すべての人が抱えている痛みなのだと。

でもその痛みの共同体は、後半に至ってくると、ちょっと様相が変わってくる。というのは、途中から、または3箇所ある難所をすべててキャンセルして、ゴールまで100km地点など、サンティアゴ・デ・コンポステーラに近づいてから、カミーノを開始する人たちが増えてくるのだ。彼らは、痛みの共同体の人びととは明らかにテンションが違う。なかには、アジア人である僕も物珍しそうに眺めている人までいたり。この道を歩いているすべてのひとが痛みを共有しているという感覚はここで崩壊してします。

なので、もしこれを読んでいる人のなかで、いつかカミーノを歩いてみたいと考えている人がいたら、ぜひ、サン・ジャン・ピエド・ポーからの「フランス人の道」を歩いてみてほしい。しかしそれと同時に思われるのは、すべての人が痛みを抱えている、という事実ではなくて、その意識を共有している、という事実のほうが大事なのだということ。この意識の共有こそが、共同体を生成するものとなる。それもまた、想像の共同体だということなのだ。

ただ僕が心が狭い、というだけのことかもしれないけれども。年をとってくると、ある方向性の寛容さが失われてしまう気がする。いや、年のせいにするのはよくないな。そのために、時間をかけて自分のスタイルを作っていく、ということなのかもしれない。摩擦やストレスを起こすことなく、自分の人生を楽しむためには、そんな技術も大切なのだろう。そういったモードにやっとたどり着きつつある気がする。世界のトレンドとシンクロしているような気もするけれど。