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第2章 人間社会における「旅」の機能

2-1 「まれびと」と異なる世界をつなぐもの

 「まれびと」とは、時を定めて高いから来訪する存在である。霊的・神的なものの本質を定義する折口信夫の思想体系でも最重要のキー概念でもある。また日本だけでなく、外部からの来訪者の対して宿や食事を提供して歓待するという風習は、世界中で見られるものだ。その理由は、さまざまなレイヤー(層)があるだろうが、その根底には「別の世界から来たものは、神と関係を持っている」という意識が横たわっている。だがどうして、そのような意識が育ってきたのだろうか。

 これはもしかしたら、私たちが生活を営むことができるそのバックグラウンドは、基本的に一方的に与えられるものであることを、無意識に理解しているからではないだろうか。例えば、果実などの自然の恵みや狩りや農業、そして、パートナーとの出会いや縁に至るまで、人為を超えたところにある出来事だというを、私たちは無意識的に理解しているのではないだろうか。ただ一方的に訪れるものは、すべて「恵み」である。そして、それがもし、苦難のようなものであったとしても、神からの何らかのメッセージなのだと、考えるようになる。なぜならば、それは人の力ではどうしようもないことなのだから。もしかしたら、この「恵み」をもたらすものと「苦難」をもたらすものは、「神」と「悪魔」のそれぞれの表れだと感じるのかもしれないが、それがこちらにやってくることに関して、人間はそれを拒否することができない存在にとどまりつづけることしかできない。

 ただそれを受け入れること、それは「神」を受け入れることに似ている。その出来事にどのような意図が働いているからわからない。分からないが、自分たちの所属している世界の外部から来た存在は、自分たちの世界との関係のなかで、今、その異なる世界から現れる必然のようなものがあるのではないかと考えられるのだ。だから、その「到来」を私たちは無条件に歓待することになる。これまで一方的に「恵み」を受け取ってきた、そして「苦難」をも拒否できず与えられる存在として。そこには、自分たちには計り知ることのできない意志があることが前提となっている。

2-2 「歓待」と「旅人」の社会的機能について

 ではなぜ、このような「歓待」の文化・風習が残り続けているのかを考えてみよう。思想的なバックグラウンドがあるのは当然のことだが、なんらかの機能のようなものも担っていたはずだ。人間社会における「旅人」の機能とはなんだろうか。そのことをまず、「コミュニティ」という単位で考えてみよう。

 旅人はあるコミュニティ(生活共同体)のなかに過剰さを導入する。それは対応するためのコミュニケーション能力だったり、実際に、食べものや住居という資源ということになる。それは、そのコミュニティのなかの有限性の中から差し出された「歓待」である。もちろん、豊かさを実感することによるやりがいのようなものを引き出すことでもあるが、その過剰さを惜しみなく与えることで一体そこに何が起こっているのだろうか。そのことを考える上ではまず、「贈与」の効果のようなものを考える必要があるだろう。「最初の一撃」としての「贈与」は、それを受け取る人にとっては「返礼」の必要性を発生させるものだ。そのことは、コミュニティの意識の拡張ともつながっているし、コミュニティ自体の安全に寄与することと言えるだろう。

2-3 贈与の一撃がもたらす効果

 つまり、「まれびと」は世界のなかでそのコミュニティが閉じていない、実際には孤立してはいないという事実によって発生するものなのである。コミュニティの外にも世界がある。それはそのコミュニティの内側から伺うことはできない。けれども、その外部から突然、予期し得ない到来があるのだ。それはまさしく「神」のようなものとして。それは、もしからしたら自分たちに「幸福」をもたらすかもしれないし、「不幸」をもたらすかもしれない。それは「神」のみぞ知ることであるが、この「到来」にはなんらかの意味があると考えるのだ。そしてそれをいかに受容するのか。それが問われることになる。その「到来」に対して、もし間違った受け取り方をしてしまうと、それは「神≒外部」から天災を受けてしまうことになってしまう。

 その「外部」といかに親密な関係を築くのかということ。その作法として、「まれびと」や「旅人」の「歓待」というものを位置付けることができるし、それはまったく観念的なものではなくて、実利的な作法なのである。そのような作法を編みだしたコミュニティが今、私たちの住むこの世界のこの時空に存在し続けている。つまり、コミュニティにとって、その外部といかなる関係を築くのかというのは、まさしく死活問題にほかならないのだ。ある集団の文化というものは、政治から切り離されて生成・変化してきたものではない。次回からは、「政治」と「旅人」について、ベンヤミンの概念「遊歩者」(フラヌール)を使いながら考えてみたい。

(続く)