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「インドのなかのインド」とも呼ばれるバラナシには、伝説の日本人宿がある。それは「久美子ハウス(KUMIKO HOUSE)」だ。日本人の久美子さんとインド人のシャンティさんが経営していて、最近では、元祖の久美子ハウスの側に、息子さんが担当している宿もできている。

私がはじめて「久美子ハウス」を訪れたのは、2000年代の半ばあたりだっと思う。はじめてのインドで、北インドのゴールデンルートを旅しているなかで、立ち寄ったバラナシ。そこで宿泊した宿が「久美子ハウス」だったのだ。当時はスマホもWiFiもなかったので、その当時の写真はほとんど残っていないし、書いた文章も当時は日本から持ち込んだ原稿用紙に手書きとかたちで、しかもそれすらも今ではどこかに紛失してしまっている始末で、つまり、その当時の記憶は、私の頭のなかが主たるありかとなってしまっている。

バラナシは当時、あまり治安が良くないとの話もあり、外国人の殺害事件とかの話が普通にあったように記憶しているが、殺されてもガンジス川に流されていくとかで、なにかと物騒なことが日常的にささやかれていた。だから当時、「久美子ハウス」では、基本的に夜間の外出は禁止されていた(今ではどうかわからないが)。そんなふうに、久美子さんもシャンティさんも、久美子ハウスに泊まる日本人の観光客たちの身を案じてくれていたのだ。インドの危険なところとか、ぼられないようにモノの適正な値段を教えてくれたりとか、次々と宿泊しにくる旅人たちに、さまざまな配慮をかけてくれていたのだ。

久美子さんもシャンティさんも、なんだかとても不思議な人だった。このご夫婦は、日本の東京、八王子で出会っている。それは久美子さんが26歳の時のことだという。そしてその後、結婚してインドに渡航。移住して5年後にゲストハウス「久美子の家」をはじめたとのこと。以後、インドを旅するバックパッカーの間では伝説の宿として名をはせることになる。最初は久美子さんはインド人が大嫌いで、それで日本人と話したくてゲストハウスをはじめたそう。

そして、久美子さんの旦那さん・シャンティさんが、2017年1月15日に永眠されたとのこと。久美子さんもそうだが、シャンティさんも、あまり自分の内面的なことを多くは語らなかった。ときに優しく、ときに厳しく、旅行者たちを見守ってくれていたシャンティさん。宿泊者たちは、シャンティさんからたくさんのものを受け取っていた。それはこちらが気づくものもあったし、きっと気づいていないものたくさんある。私たちはただそれを受け取って、旅の一時期を過ごしていたのだ。シャンティさん、本当にありがとうございました。心から、ご冥福をお祈りします。