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5-1 消費者が作り出す生産者の貨幣価値と内面性

 「旅人」はそれ自体、社会的な階層を形成している。たとえば、「流浪の民」の位置付けは、定住生活を基本とする近代社会にとって低い地位におかれているものだし、現代でも流浪の民の代表的な存在である「ロマ(ジプシー)」の社会的な位置付けも低いものだ。また、そのような流浪の民でなく、一時的な消費者としての「旅人」は、ある圏内においてお金を使う階層として位置付けられ扱われる。まず前章の続きとして、消費者としての「旅人」が社会に与えるインパクトと、それによって引き起こされる場の変化、社会階層の形成について考えてみよう。

 消費者としての「旅人」はその消費行動の結果として、ある「場」において新たなレイヤーを結果的に創出することになるのは、前章でも述べた通りだ。それは、一種の貨幣経済、もっと言えば資本主義社会のなかにその地域がビルトインされ、位置付けが行われることを意味しているが、それは「旅人」という消費者から、その地域の人びとが貨幣を受け取ることに特化したために、その地域の生活習慣や考え方というものを大きく変化させる結果を作り出している。

 その変化は、生活と生活を成立させるためのビジネスを切断することにもつながっている。なぜなら、それまでの生活の文化というものを活かしきることの難しい市場でもあるからだ。そこでは、質的な問題よりもその奇抜さや特異性のほうが市場価値として重要視される傾向が生まれる。そのため、だんだんと消費者側の論理と同じように地元の生産者も考えるようになってくるが、その変化は、消費と生産という役割の固定された関係、状態をも作り上げていく。つまりその個性を、その生活とは切り離されたところで市場価値化されるということなのだ。生産者における消費者の視線の内在化は、アイデンティティすらも貨幣の価値として交換してしまうものだが、それはいわば一方的に見られる側でもある。そして、見る見られるの関係の安定は、貨幣の移動の仕方によって、階層としての安定化へとなっていく。

5-2 定住者からの視線で価値付けされていく

 旅人のひとつの階層の観点としての「流浪の民」。定住をその基礎とする近代化以降の人間社会において、旅をすみかとする人びとは、あまり歓迎されたものではない。なぜなら、一般的には定住を基礎としたコードの上で地域社会が成り立っているため、そのコードに合わない存在としてノイズのように感じられるからだ。昔から、たとえばロマなどのような存在は、その社会のなかにおいて低い地位を与えられていたし、実際に経済的にも貧しい傾向もあることは否定することはできないだろう。

 つまりその意味での「旅人」は、被差別の問題とも親和性が高い存在でもあるのだ。そして、その親和性の高さが階層性を生成していく要素のひとつともなる。もともとその社会のなかで遊離した状態の「旅人」がその場で経済活動をしていくのなら、その社会の隙間にあるような仕事をしていくしかない。たとえば、その社会で嫌われる仕事を請け負ったりといった形で社会的な地位を獲得していくのだ。

 例えば、流浪の民としてのユダヤ人もなぜ、金融業界の存在に、金貸しをするようになったかというと、その仕事がその当時では卑しいものがするものだったことが理由として考えられている。またなかには、その貧困状態から生き抜くために、盗賊のような略奪行為に打ってでるものもいるだろう。しかし皮肉なことにそれによっても、その社会の一員にもなっていくのだ。つまり、集団、階層の形成には、経済活動のあり方が多く影響している、ということである。略奪行為ですらも経済活動というレイヤーの上で意味化され、社会のなかで階層化の依り代となっていく。

5-3 「旅人」の階層性、その2つの側面

 つまり「旅人」の階層には、階層を作り上げていくきっかけとなる「消費者」という側面と、社会から遊離した力なき「マイノリティ」という側面の2つが存在するこということだ。それらは、その場所における経済活動にビルトインされていることが共通している。つまりは、社会性と貨幣を稼ぐそのあり方には相関関係があるということなのである。

 では「経済活動」とはなんであるのか。そのことについて、ここでは深めていく必要があるだろう。旅人にさまざまな機能や役割を付与していく経済活動。ただそれが生活の糧となるだけでなく、それ自体が価値となって、人間を意味付けていくようなものとしての経済活動。

 ある欲求に従って始まった「旅」が、結果的にその場所に様々な意味を付与していくということ、そしてされること。それはまるで、「散種」のような不確定性を高めという側面だけでなく、最初からその意味のようなものが、その欲求の原動力としてビルトインされているのではないか。私たちは「旅に行きたい」と知らず知らずに思い込まされているのではないか。そのような問いが立ち現れてくる。「旅」への欲求というものは、そのように形作られているのだろうか。次回では、「旅の欲求を作り出すもの」とはなんなのかを考えてみたい。