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6-1 旅することは生存すること

 「旅」が動きだすとき、人の突き動かしている欲求の起源はなんだろう。生き物がその場を動きだすときには、幾つかの欲求の起源がそこに生まれているはずだ。たとえば、住んでいた領域のなかでの適応競争やヘゲモニーの掌握の失敗など、ある程度、ネガティブな要因もそこには含まれていることもあるだろう。それは同時に、生命体の種としての領域の拡張という機能も含まれている。水が高きところから低きところに流れていくように、闘争や葛藤を生成する過剰さは外部を求め開拓することにつながり、その結果、その種が住んでいる領土を拡張していく。それはこの地球という星の生命史上、延々と繰り返されてきたことだが、この運動には、「旅」の要素があることがわかる。ここではないどこかへと向かう欲求や意志。それは、故郷などの親しみのある土地を追われた喪失感を埋めるものとしても立ちあられてくるものだが、それは生きる意志といえるものだ。また、そこにはいかにして生きるかという問いとその答えも同時に含まれている。

 つまり、生きていくこと自体が「旅」と密接に関係があるということなのだ。「人生は旅である」という常套句は、その表象であるといえる。生存すること、それが「旅」の欲求を作り出しているのだ。

6-2 生命・経済・貨幣を貫く「旅」の原理

 そして、もうひとつの観点があることもここで指摘しておく必要がある。それは、この「旅」という運動が、経済活動の拡張とも密接に関わっているという点だ。近年、インターネットとそれを受容するデバイスの発達によって増加している、場所を選ぶことなく生活の糧をえる、デジタルノマドと呼ばれる働き方は、このコンテクストからも捉えることができる。ノマドとは遊牧民という意味を有するタームであるが、それは「旅」というタームと強く共振していることは、その界隈のデジタルコミュニティを見ているとわかることだろう。「旅」の快楽は実益にもつながっている。それは、貨幣経済のシュミラークルのなかの現象として現れることもあるし、個々人の快適さとして生まれることもある。ここでは、個々人の快適さというものの一部が貨幣経済における影響として立ち現れていることも見逃してはならないところだろう。「旅」の欲求はそのまま、資本主義社会における、新領域、ブルーオーシャンの発見にもつながって、その場を入手することもできる可能性があるという点で、スタートアップなどの界隈とも親和性が高い理由もよくわかる。

 つまりは、「旅」の欲求は、個人的なものでありながら社会的、そして、生物のしての種の拡張原理でもあり、資本主義の膨張の一部でもあるのだ。

6-3 「旅」の欲求をいかにデザインするか

 このような相互関連した機能の絡まりあった糸は、総合されると情緒的な「旅」への感情として立ち現れる。私たちはその感情がどのようにかたち作られているのか、読み解いていかなければならない。なぜならば、そうでなければ、その感情が導く結果を、私たちは選ぶことができないからだ。生物は遺伝子の乗り物だという側面があるのは事実だろう。だが、人類は、地球上の長い生命の歴史のなかで、異端な存在であり、その種が誕生してそんなにも長い年月がたっていないのにもかからず、すでに大量の同族を虐殺したり地球上の環境を大きく変化させたりしている。そのことは、人類はこの地球上に生きる生物が長く子々孫々反映していくことを前提とするならば、かなりイレギュラーな存在だということなのだ。そのような自己破壊的な衝動すら持っているこの人間という生命体の持つ欲望もまた「旅」だということができるだろう。越境や飛躍が人類をここまで異端な存在へと導いてきたのだ。

 つまり、これからの人類の課題のひとつは、「旅」の欲求をいかにしてコントロールするか、にあるといえるだろう。でなければ、生物の歴史としては比較的早く、私たち人類は滅びることになるかもしれない。私たちは「旅」についての認識をアップデートする必要がある。この世界におけて、「旅」が作り出すのは、創造だけではない。その欲求は同時に、破壊ともつながっている。しかし「旅」には、そのような死の欲望ともいえるもの以外にも、世界を豊潤なものとして浮かび上がらせる側面がある。それは「他者」との新たなる出会いという側面だ。つぎに、この「他者」との出会いとしての「旅」について考えてみたい。ここには「旅」の快楽と人類のサスティナブルな社会を同時にかなえる機能の備わっている。「旅」の欲求をデザインすること。それが「旅」を考える、ということでもある。