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新幹線の中が公共空間なのかどうかは分からないけど、公共の交通機関ではあるよね。

JRの普通電車とかだと優先席があるくらいだけど、新幹線だとグリーン車とか指定席とか、飛行機だとファーストクラスとかあって、料金によって場所が分けられていたりする。

それで僕が思い出すのは、インドを旅してた時のことだ。大体、インドだとバスか電車で移動なんだけど、電車だと、普通はセカンドスリーパーっていうのを取るんだよね。これは指定席で横になれるくらいの広さがあるの。

けどまたに、急な移動とかだとセカンドスリーパーの予約がいっぱいになってて、予約なしのセカンドクラスに乗っりするだけど、その時のカオス感はすごかった。もちろん、タイミングもあるけどね。例えるなら、日本の満員電車のMAXレベルが何時間も続く感じ。日本にも満員電車ってあるけど、なんていうか、充満感がすごいのね。なんかこう、ムァッと。

その中でセクハラにあったり、質問を幾つか受けたりしてた。セクハラの方は後ろの方からの覆いかぶさってきて、指先をチロチロと局部を撫でる感じだった。質問の方は、インドは日本に比べてどうだとか詰め詰めの状態で目の前にいる人に聞かれたりして、確か「インドよりもホームレスの人たちの数は少ないよ」的なことを言ってた気がする。結構朦朧としててかなり適当な話をしたように思うが、周囲の人たちはその話を神妙に聞いてた気がする。外国人ズレしていない人たちは、素直に話を聞いてくれて、外国人が歩いてると近寄ってくる人たちとは全然違う。もちろん、外国人ズレしていない人たちの方が大多数なのだろう。

なんか今日、公共空間が途上国化するっていう記事を目にしたけど、どうなんでしょうね。ソーシャルメディアとかで色々ミキシングされて感もあるけど、結構サクサクとゾーニングされていっている印象も持っています。いわゆる市場とは別の公共空間という意味ではそういうのがなくなってきていて、公共空間もゾーニングされてきているように思うのですが、その状態から非常事態の時にどう振る舞うかということが問題になっているのかもしれません。つまり、お金出してグリーン車に席を取ったのだから、程度にもよりますが非常事態だからとか、ただで自分の隣の席に座る人がいるとか、環境が守られて当然だとか。つまりは、お金で安全や穏やかな環境を買ったのだから、そのルールは守られるべきだということですね。確かにそれはそうなのでしょう。

ここには、やはり社会のルールが露呈しているわけですよ。そして、その共通見解が異なっている、と。それで議論、炎上するわけだけれども、こういう炎上って多分、重要なものなのではないかと思います。何故ならば、僕たちはその社会のルールを議論して作り上げてはいないところが大きいからです。もしかしたら、こういう議論や炎上が公共空間を自ら作り上げていく上で重要な役割を演じていくことになるのかもしれません。同じ空間に存在することが意識される瞬間は、その公共空間について考えるに良いキッカケのように思いました。他人事っぽい言い方になっちゃいますけど。

今まではどうしても公共空間について議論するとなると、観念的な話になりがちだったと思います。ギリシャのアテネから学ばなければとか。けれどとても素朴で具体的なところから公共空間が立ち上がることもまた大切なのではないでしょうか。もしかしたら、ギリシャのアテネも最初はそんな感じだったのかもしれません。