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久々に見応えのあるドラマを観た。「明日、ママがいない」である。日本テレビ制作で2014年1月15日から毎週水曜日22:00から放送されていて、主演は子役で有名な芦田愛菜さん。主な舞台は児童養護施設。キャッチコピーは、「捨てられたんじゃない、わたしたちが捨てたんだ。」「今、君の隣にママはいますか?」。

なかなかショッキングな表現力が多く、第一回の放送後、沢山の批判や中止を求める声も上がっている。

その批判の先陣を切ったのは、熊本市西区にある慈恵病院。同病院は親が育てられない子どもを匿名で受け入れる「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」を設置している。第一回放送の次日、16日に記者会見を行い、日本テレビに放送中止を求めると発表した。

批判の内容は、「内容が今の児童養護施設の現状とかけ離れている。子供を動物扱いし、平手打ちやバケツを持たせて立たせる行為は施設内虐待に当たる。里親制度も実態と違う」「番組の舞台は国が進めようとしている地域に根差したグループホームであり、番組の体罰的な場面から国民や世論の理解も得づらくなる。いくらフィクションでも、子供や親、職員の人権を侵害している」、といったものだ。

第一回放送時点で、問題とされているのは以下の2点に集約される。

①主人公の女の子のニックネームの付け方
②児童養護施設の実態と乖離している点

①は、例えば、母の罪状が恋人を鈍器(灰皿)で殴ったということで「ドンキ」であるとか、赤ちゃんポストに預けられていたから「ポスト」であるとか、施設に預けられた理由に由来したニックネームが付けられている、ということだ。②については、実際の施設職員からもその具体的な乖離が語られている。

「ドラマ『明日、ママがいない』第1話へ児童養護施設関係者からのツッコミ」
http://togetter.com/li/616921

結果、この番組が加害や偏見を助長する、というのだ。

ネットでは具体的な加害のケースも挙げられている。親に捨てられた施設出身の若者が、あの番組を見てフラッシュバックをおこし精神状態を悪化させ、リストカットに及んだ、という衝撃的な実例もある。

「日テレのドラマ『明日、ママがいない』への声 第2弾 番組見て恐怖の記憶が甦り、リストカットした若者も」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20140120-00031787/

さらに、厚生労働省が2011年に児童養護施設などの方向性を示した『社会的養護の課題と将来像』の精神にも反しているのではないか、という声もある。このドラマでの児童養護施設や里親の描き方が誤解を生み、国の政策を後退させる要因になるのではないかという批判だ。

「児童養護施設等の社会的養護の課題に関する検討委員会の設置について」
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000010mz4.html

「社会的養護」
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/syakaiteki_yougo/index.html

ネット上では、このドラマは「いかに野島伸司テイストをメタ的に遊ぶか」、が要点であるとしている論者も存在する。確かに「野島伸司だから」ということによって一歩引いて観る視点を獲得することは、このドラマの受容のあり方として正しいようにも見える。しかし何故、この日本社会が野島伸司テイストをベタに取るようになったのかというところまで思考が及ばなくては、「自分はちゃんと観ることができてる」という表明以上のものではないだろう。共有された前提が異なっているから起こる混乱というだけでは、ただ「観る者に教養がないから」といっているのと同じなのではないだろうか。つまり、テレビを視聴する上での文化的な前提の切断がそこにあるということなのだが、それをメタに楽しむというところに留まるのでは、ただそこにある問いを無効化し安全なものにして消費しているに過ぎない。

脚本を担当した松田沙也さんもTwitterで、「このフィクションを通して、まずは子ども達に興味を持ってもらうこと、そして彼女達が問題に立ち向かう姿を見た同年代の子どもたちにも少しでもプラスの感情を抱いてもらえればと思います。」と述べている。

今の日本社会には多くの無関心と想像力の欠如が蔓延しているのではないだろうか。施設なども含め、多くの社会問題は日本ではほとんど存在しなくなっていると考えている人も多くなっているように感じられる。このような問題のメディアへの露出度や関心度は低くなっているし、さらに観たくないものは観なくていいアーキテクチャが構築された社会に私たちは置かれているのだ。

しかし、施設に預けられる子どもたちは今もなお増え続けている。そのことを考えるための導線が今の私たちの社会には不足しているのではないだろうか。まずは無関心よりも関心を。感情のフックを多用しているのは、そういった意図もあるのだろう。そのフックが強すぎて、テーマの主旨とは別に表現の仕方や設定に対して批判が集まっているようにみえる。しかし、その感情のフックもまた、今の日本社会の実情を表現しているようにも思えてならない。

このドラマで注目すべきところは、子どもの視点とその主体性にある。それはジブリ作品「かぐや姫の物語」とも共通する特徴といえるかもしれない。『竹取物語』におけるかぐや姫も原作では内面を描かれることがなかった。その物語をかぐや姫の視点から描くこと。それがジブリの「かぐや姫の物語」のひとつの画期的な点ではなかったか。つまり、本作品においては「子どもからの目線」を描こうとしているのだ。施設の子どもは自らを語ることもできず、大人の庇護の元にあるだけではないだろう。もちろん、そのことは子どもたちを野に放つようなものかもしれない。それに対する賛否両論はあるのは当然だ。しかし、想像しさえされなかった状態から具体的な形が立ち現れることは、大きな変化でもある。施設に限らず、そういった子どもたちもいるのではないか、という想像力を空白にしないこと。それは今、とても大事なことなのではないだろうか。

確かに、学校で施設で生活をしている子どもに対するいじめが発生しないだろうかという心配も妥当性のあるものだ。子どもの傷に更に塩を塗り込む危険性を孕んでいるだろうことも予想される。施設で暮らす子どもたちへの影響も含めて様々なケースを想定してほしい、ということももっともなことだ。もちろん、表現が適切かどうかは、常に考えていかなくてはならない。

しかし、今回の批判の多くは、おそらく結果的に素朴な差別意識を温存する方向に機能する。けれども、大事なのは施設にいる時間だけでなく、一人の人間の一生涯であるはずだ。その本当の解決は、放送中止という形では実現しない。

また、施設の職員たちは批判的な意見が多いが、実際の出身者の声は肯定的なものが多いというところも、何故そうなのか考察する必要があるだろう。

「明日、ママがいない」施設出身者の方々の反応
http://togetter.com/li/617131

本ドラマは放送後、ネットでも視聴できるようになっている。
観ていない人も是非観てみて、自分の中に沸き立ってくる感情の中にあるものを見つめてみて欲しい。

【公式:番組全編配信】明日、ママがいない 第1話(HD)
http://www.youtube.com/watch?v=x4oUqRdHisM

また本ドラマは、社会的擁護を選ばざるを得ない親たちの話やその社会的背景や構造を、広く一般の人たちが考える上でもきっかけにもなり得るのではないだろうか。そして、これが大事なことなのだが、そのような状況下にある子どもたちを、決して哀れみや大人の一時的な庇護だけではなく、同じ目線で描こうとしているのだ。問題となっているニックネームも、スティグマを受け入れ、そこから主体的に野に出て、自らの生を紡ぎだすために必要な装置のように思われる。

次回以降も注視していきたい。この問題提起をただ批判し消費するだけに留まるのであれば、日本の未来は多くの子どもたちにとって、今以上に生きづらいものになることの証になるかもしれない。より包括的な社会のプラットフォームを作り上げるのに必要な問題提起を、本ドラマは含んでいるように思われるのだ。