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Danbo and Domo meet a new friend in Silicon Valley

このエントリでは、「インターネットおじさん」というキャラクターが、「ポスト・インターネット」という情報環境において、どのように位置付けられるのかを考察していく。

まず「インターネットおじさん」とは何なのかを説明しなければならない。とりあえず、以下のページを観てみると良いかもしれない。

「インターネットおじさんをベルリンにアップロードしようのページ」

このように白タイツに身を包んだ「おじさん」が、インターネット上のサービスやコミュニケーションツールをリアルで自分自身の身体を用いて代替することが、「インターネットおじさん」のキャラクター設定となっている。

このようなキャラクターの登場は、「ポスト・インターネット」の時代と響き合うところがあるのではないか、というのが本エントリの問題提起だ。そして、それは単純に新しい世代というわけではなく、時代と複数の世代との間でできているネジレこそが、このような表象を生む基盤となっているのである。

ここで「ポスト・インターネット」とは何かを確認しておきたい。メディアアートの研究者・水野勝仁氏は、インターネットの出現から「ポスト・インターネット」までの流れを以下のようにまとめている。

まずインターネットの出現当初は、リアルな世界からインターネットの世界へと私たち持っている感覚の場を移そうとすることにベクトルが向いていた。しかしいつの間にか、インターネット上の情報がリアルな世界から移されたものではなく、それ自体が別のリアリティを持つようになったのだ。そして、リアルとインターネットが同等の存在だと意識されはじめた中で、この二つの間を行き来しているのが今の状況なのではないか、というのだ。それが「ポスト・インターネット」における社会的な状況なのである。さらに、この二つの世界は常に同期しようとしている。けれども、リアルもインターネットも常に動いているので、同期しようとしても必ずズレが生じてしまう。

参照:座談会「ポスト・インターネット」を考える(β)

この座談会は現在より二年近く前に行われたものであるが、大まかな把握としては、現在も通用するものと言えるだろう。

ここで、そのような「ポスト・インターネット」の環境に暮らす人びとの世代論に入っていきたい。どうして世代論なのかというと、情報環境が用意されてもそこに暮らす人びとがそれを使いこなすことができていなければ、「ポスト・インターネット」の時代にはなりえないからだ。「ポスト・インターネット」の時代は、大きく二つの要素から構築される。一つは、ネットサービスの進化と多様化、一般化であり、そしてもうひとつは、それを使いこなす人びとの存在である。

新たな情報環境を使いこなすための身体性は、その生まれ育った時代に大きく規定されることは説明するまでもないことだろう。ここでその新しい環境を使いこなす世代として挙げたいのは、デジタルネイティブの世代だ。

デジタルネイティブ (digital native) とは、生まれた時からITに慣れ親しんできた世代のことで、日本で商用インターネットがスタートした92年、この年より後に生まれた世代が該当すると言われている。(世界初の商用インターネットは87年)。

さらに、デジタルネイティブはすでにふたつの世代に分けることができる。物心ついた頃から携帯電話やホームページ、インターネットによる検索サービスに触れてきた世代を「第1世代」。そして、ブログ、SNS、動画共有サイトのようなソーシャルメディアやクラウドコンピューティングを使いこなす青年期を過ごした世代を「第2世代」と言う。

参照:http://m.kotobank.jp/word/デジタルネイティブ

例えば、ソーシャルメディアの代表格のひとつであるTwitterは、2006年7月からのサービス開始だが、日本で本格的に普及し始めたのは、2009年頃。「インターネットおじさん」は、1984年01月19日生まれで、今年30歳なので、その頃は25歳くらいである。青年期の真っ只中だ。もともと、デジタルネイティブと言うには少し早く生まれすぎているきらいもあるが、さらに、ここで「第一世代」から「第二世代」へのインターネット環境の変化を体感することとなったのではないだろうか。

ちなみに、人生の途中からITに触れた世代を「デジタルイミグラント(digital immigrant=移民)」と呼ぶ。「インターネットおじさん」は、何とかデジタルネイティブ第一世代には入りそうだが、第二世代に入ることは難しいだろう。つまり、第二世代から見れば強くイミグラント性を帯びている存在なのである。ここに「おじさん」という概念が共振するポイントがある。つまり、「おじさん」であることと「イミグラント」であることが共振するのである。

この同時代からの微妙な距離感が、「インターネットおじさん」という存在を生み出したのではないだろうか。もし、どっぷりとソーシャルメディア時代の情報環境を当たり前のように使いこなしていれば、このようなキャラクターを生み出す必要性はなかったのではないかと思うのだ。インターネットを自らの身体によってパロディ化する手法は、デジタルネイティブ第二世代のエッジに同期するためのものなのではないだろうか。

さて、そろそろ結論へといたろう。

「インターネットおじさん」という表象は「ポスト・インターネット」の時代において、異なる世代同士が如何に同期するのかを示すものである。それぞれ異なる時代のメディア環境によって培われた身体、早まった身体、遅れた身体は、別の仕方で時代のエッジを共有することが可能なのだ。そして、その共有の舞台は、リアルとネットの境界線上なのである。つまり、「インターネットおじさん」はそこに住まう存在なのだ。リアルとネットの同期の不確実性が、その生存を助けている。

photo by: Takashi(aes256)