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先日のportBの高山明さんと思想家の東浩紀さんのトークは、とても興味深いものだった。ここで話された内容は、これからの日本文化の行方を占う意味でも重要なものになるだろう。ニコ生のタイムシフトで2014年3月5日まで、有料だが視聴することができる。あと、Twitterでの実況まとめもあるので、参照するといいかもしれない。

「観光と演劇は社会を変えるか――Port B観光リサーチセンターと福島第一原発観光地化計画の未来」高山明×東浩紀
http://live.nicovideo.jp/watch/lv167308496#10:47

イベント実況のTogetterまとめ
http://togetter.com/li/635135

このイベントの冒頭部分で高山さんは、ドイツ・ベルリンのスクワットについて言及していた。スクワットとは不法占拠のことだが、そのような違法性の高い状態への対処の仕方が、ドイツと日本では異なるのではないか、というのである。ドイツ・ベルリンでは、そのような違法な占拠状態も上手く行政側が利用しているのではないかと指摘していて、いわば、「貧困ツーリズム」の観光資源として活用することで、その場所をスクワッティングしているたちの利益と行政側の利益が一致するということで、成立している空間なのではないか、というのである。(地主のパーソナリティとかも影響しているらしいけど。)

そのようなことを可能にしている歴史的な背景についてはあまり語られなかったのだが、この話は最近目を通した本を思い出させた。それは『ジプシー』(水谷驍 著)という本である。

ジプシー 歴史・社会・文化 (平凡社新書)
水谷 驍
平凡社
売り上げランキング: 98,447

新書なのですぐに読めるし、ジプシーに対する先入観が大きく変化する内容になっていて大変面白い。以下では僕の中でイベントの内容とシンクロした部分を要約してみよう。

人類学者のジュディス・オークリーは著作『トラヴェラーメン=ジプシー』(1983年)の中で、ジプシーは15世紀はじめに登場しており、その時期はヨーロッパにおいて資本主義体制の勃興期にあたると指摘している。それ以前の封建制が解体することによって、雑多な流民層が社会に放出され、つまり、この流民層がジプシーの起源となったのではないか、というのである。

さらに、ヨーロッパの封建制の解体、資本主義の勃興というコンテクストのなかでジプシーを考察しようとしたのが、オランダの社会人類学者や歴史学者のグループ。

彼らの議論によると、ジプシーと呼ばれる人たちの起源は、ヨーロッパ各地に発生した雑多な出自の貧民・流民層にある。こうした人たちが定住民の主流社会と特殊な関係を取り結ぶ中で、ジプシーという社会的な存在形態を形成してきたのだ。この過程で決定的な役割を果たしたのが、時の政治権力や教会当局による「烙印押捺」と呼ばれるプロセス。つまり、彼らにとって好ましくないものたちの排除・排斥するプロセスである。その基準となったのは、近代的国民国家を構成する国民として、善良なキリスト教徒で、ひとところに住み、決まった職業を持つか否かということであった。この条件を満たさない者たちは、「危険な放浪者」として排除・排斥の対象とされたのである。

そして、主流社会から排除・排斥される関係がいったん成立してしまうと、排除・排斥する側はそのための制度や仕組み(弾圧・排斥の法体系、警察組織、救貧制度、免許制度、一斉捕獲、見せしめ的な刑罰、その他)を精緻に築き上げていく。その一方、排除・排斥される側は、そのような社会的条件の中で、生きてゆくための独特の生活様式や文化を形成していくこととなる。

しかし、近代資本主義社会には、常にある種の「隙間」があったこともまた
指摘されている。排除・排斥された人間集団にも居場所があった、というのだ。このような隙間にあって、地域社会に不可欠なさまざまな「サービス」を提供することによって、そこに生活基盤を得て再生産されていったのである。主流社会の側も、隙間を埋めるという経済的な機能を果たす限りにおいて、このような人間集団の存在を許容してきた。こうして、今日見られる「ジプシー」と呼ばれる人間集団が近代ヨーロッパ社会に広く形成され、再生産されてきた、という説がこの本のひとつの軸となっている。

このヨーロッパにおける「ジプシー」という観点から眺めた歴史が、先に述べたベルリンにおけるスクワットの社会的な受容の背景のひとつとしてあるのかもしれない。

そのことは高山さんが現在、日本の「歌舞伎」に関して興味を持たれていることとも響き合っている。高山さんは、「歌舞伎」は帰る場所のなくなった者たちの怒りの表現がその起源にあるのではないかと指摘していた。そして、社会のウチとソトの境界域に住まうようになったのだ。そのことはベルリンのスクワットで起こっていることと、もしかしたら同型の現象としてモデルを取り出すことが可能なのかもしれない。

現在の日本において、そのような境界域や隙間の役割はどこにあるのだろうか。そこで思い出されるのは、東さんの最近の京都学派への関心である。京都学派に限定したことだけではないが、京都には「あえて触れない」という知恵が今も生きている、という話を聴いたことがある。触れなければ上手くいくならば触れなければいいという知恵。それは理解しないことや聞かないことを戦略として使用するのと同じように、ひとつの権力の手法、作法でもある。

明治時代以降の日本においては、そのような振る舞いは、建前上、前近代的なものとしてネガティブに語られがちだった。もちろん、そこにはネガティブな側面もあることは確かだろう。なぜならば、その手法は、ある種の特権階級の利益を守ることに使用されがちだからだ。しかし、その手法にポジティブな意味を汲み取って発展させていくことを、東さんは構想しているみたいだ。その知恵を様々な他者とのインターフェイスとして活用していくことの可能性が示唆されている。

このイベントは、日本がこれから育てていくべき文化の場所についての話でもあったように思う。高山さんは、インフラや公共事業などに如何に自らの考える演劇的手法を介入させ、サステイナブルなものにするかということを志向しているように見えるし、東さんはやはり、この国の文化は伝統的に民間によって担われてきた歴史があるのだから、そのコンテクストを活かすことが重要だと考えている。どちらも社会的機能を意識した上での選択でもある。

最後の方でも話されていたが、日本の土着の地域性みたいな文化の古層を探求することが重要なのではないかという点でも二人の見解が一致していた。

高山さんの戦略や方法論は、僕にとってとても分かりやすい。一般的に異端的に見られる傾向は感じているが、むしろ、正攻法なのではないかとさえ思う。しかし、東さんの京都学派推しに関しては、僕はまだ上手く咀嚼しその未来像を描くことができない。

もちろん、これは僕の中でのことなので、そこにある違和感に関しては、近いうちに言語化していきたい。たぶん、理解のポイントは「政治」や「公共」のプラットフォームに影響力を持つまでのプロセスにあるような気がする。その辺を考察すると、たぶんとても長くなるので今日は記述しない。

明治以降の西洋化の流れの中にある国民国家システムの在り方のオルタナティブとして、古層を掘り起こし京都学派に繋ぎそれを発展させていくこと。そこには知識人という存在が、如何にして社会で有効に機能しうるのかという問いも含まれているわけだが、つまりはそれがたぶん、直接的には、今の国民国家体制の構造を脱構築するには至らないのではないか、という感覚が払拭できないのである。しかし同時に、それが「文化」というものでもある、のかもしれないとも思った。