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動物趴

第1章 「動物」の「野性化」へ(前半)

1-1. 「リアル」と「ネット」の行方

メディア論の大家であるマーシャル・マクルーハンは、1962年の著書『グーテンベルクの銀河系』の中で、「グローバル・ヴィレッジ」(Global village、地球村)という概念を提示しています。マクルーハンは、電子メディアの登場によって、人々がコミュニケーションを行う上で障壁となっていた時間と空間の限界が取り払われ、その結果、「グローバル・ヴィレッジ」が形成される、と予言したのです。

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さらに、「グーテンベルク銀河系」が象徴する文字を中心とした視覚文化から、電子メディアの時代になってくると、音声など聴覚文化が優位になってくる、とも言っています。文字による視覚文化は、文字と個人との間に孤独な思索を形成します。近代的な自我というものが読書経験によって培われるというのも、その孤独の思索によってというところが大きいでしょう。そして、聴覚文化は、その個人主義と孤立の世界から、「部族的基盤」をもった集合的アイデンティティへと移動させる、とマクルーハンはいいます。先祖返りのようなものですね。

さて、2014年の現代日本において、「リアル」と「ネット」の境界線が曖昧になっていることが指摘されはじめてから、もう5年くらいが立ちました。その融合の流れの中で最もインパクトが大きかったのは、やはり「Twitter」や「Facebook」などのウェブサービスの普及でしょう。

つまり、リアルタイムWebによって、「ネット」が「リアル」と同期しはじめたわけですね。それまで日本社会における「ネット」は「リアル」とは別のパーソナリティ、もしくは匿名である傾向が今よりも強めでした。つまり、非同期性が重要だったのです。その二つの世界は別々の世界であり、「ネット」は「リアル」が一度キャンセルされた世界だったということができるでしょう。もちろん、同じ言語圏であることは基本的に前提になってはいますが。「ネット」は「リアル」を変化させるのではなく、あくまで補完的な役割を果たしていました。つまり、「リアル」と「ネット」を行き来することが重要だったのです。

しかし、リアルタイムWebが一般化していく中で、その二つの世界の境界線が曖昧になり、「ネット」は「リアル」のための道具として再構築されていくことになります。もちろん、その反対のベクトルも発生しています。つまり、「ネット」が「リアル」を浸食していく流れですね。例えば、ネットカルチャーと親和性の高いアニメ界隈でいえば、その舞台となった場所を観光する「聖地巡礼」という文化や登場キャラクターのコスチュームに身を包む「コスプレ」なども、その例として挙げることができるのではないでしょうか。しかし、「ネット」の空間としての場所性は後景化していきます。「二次元」という言葉も空間でないことを象徴しているのではないでしょうか。コミュニケーションの距離や時間を短縮するものとしての使用が主だってくるのです。つまり、「ネット」を独立した空間的に捉えるのではなく、「リアル」を前提とした形になってきた、ということですね。

特にその影響を見て取れるネットの文化圏がありました。それは「非モテ」文化圏です。もともと、日本の「ネット」は、自意識を持て余した「非モテ」文化と親和性がありました。その意味で「リアル」の補完的な空間であったということも可能でした。例えば、巨大掲示板である2チャンネルやはてなダイアリーの非モテ論壇などにも、当時の「リアル」と「ネット」の関係を見て取ることができるでしょう。実際、当時のオフ会などに参加すると、そのことはよく実感することができました。

それがリアルタイムWebの時代においては、「リアル」が全面に出てくることになります。そのことによって、「ネット」における「非モテ」文化圏の全能感は縮小していくことになりました。もちろん、完全に場所が失われたわけではなく、多様化し棲み分けが進んだという側面もあるでしょう。けれども、いわゆる「リア充」の強い場所として機能し始めることになった、ということは確かなのではないでしょうか。「ネット」が「リアル」へフィードバックすることが前提になった時代。人間の身体を中心としてインターネットが再編成される時代。本稿では、その時代を「ポスト・インターネットの時代」と名付けてみたいと思います。

1-2. ポスト・インターネットの時代とは

もちろん、この「ポスト・インターネット」という概念は、私が創造したものではありません。ここで別の人による「ポスト・インターネット」の概念規定を確認しておきましょう。メディアアートの研究者・水野勝仁氏は、インターネットの出現から「ポスト・インターネット」までの流れをまとめています。要約してみましょう。

まずインターネットの出現当初は、リアルな世界からインターネットの世界へと私たち持っている感覚の場を移そうとすることにベクトルが向いていた。しかしいつの間にか、インターネット上の情報がリアルな世界から移されたものではなく、それ自体が別のリアリティを持つようになったのだ。そして、リアルとインターネットが同等の存在だと意識されはじめた中で、この二つの間を行き来しているのが今の状況なのではないか、というのだ。それが「ポスト・インターネット」における社会的な状況なのである。さらに、この二つの世界は常に同期しようとしている。けれども、リアルもインターネットも常に動いているので、同期しようとしても必ずズレが生じてしまう。(参照:座談会「ポスト・インターネット」を考える(β))

この座談会は現在より2年くらい前の2012年3月に行われたものですが、大まかな把握としては、現在も通用するものと言えるのではないでしょうか。しかし、ここでも「ネット」と「リアル」は二つの世界であり、それが常に同期しようとしている、という世界観が存在しています。

「ポスト・インターネット」の時代において、その世界観は「ネット」と「リアル」の関係性において、多元化します。ここで考えられるのは3つのパターンです。1つ目は「リアル」と「ネット」を別々に捉えるという世界観。3つ目は、それを使いこなす人びとによって「ネット」は「リアル」に帰属する、という世界観です。3つ目は、「リアル」が「ネット」に帰属するという世界観です。

本稿における世界観は2つ目の視点を取ります。その視点から、「ポスト・インターネットの時代」がどのような時代なのかの見取図を描くことが本稿が書かれている理由です。情報環境の受容者の立場からの思想を描くこと。それが今、あまりないように思われることが執筆の動機となっています。

特にビッグデータなどの技術的な変化と生活者である人間の関係についても、言及していかなければならないと思います。大げさな表現になりますが、サルトルの「実存は本質に先立つ」という言葉をもじるならば、「実存はITに先立つ」という理論を構成する、と言い換えても良いかもしれません。

実存主義とは何か
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