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「都落ち」と言葉を人を貶めるものとして使用する人はどうかと思う。「落ちる」とは高いところから低いところへ移動することをいうわけだが、そこは価値の優劣があからさまに現れるからだ。その人の世界観というか、世の中の把握の仕方が透けてみえる。

一応、「都落ち」という言葉の辞書的な意味をみてみると、

(1) 都にいられなくなって、地方へ逃げ出すこと。
(2) 都会、特に東京を離れて、地方へ転勤・転居などをすること。

となっている。

(1)については、何らかのヘゲモニー闘争のようなものに敗北して立ち去らなくてはならなくなったことと、中央から周辺への移動というニュアンスが含まれている。(2)は単純に場所の並行移動、環境の変化くらいの意味ですね。

ちなみに僕は地方が嫌になって19歳の時に東京に向かったくちなのだけれども、現在の地方の環境は僕が出てきた頃とは随分と変わっている。

最近ではマイルドヤンキーとか、地方への都市からの視線はマーケティングなどの視点からも注目を集めているところはあるだろう。そこは優良な消費者の大きな層が存在しているからだ。

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また、地方への注目は、ターゲットにする消費者層の存在感だけでもない。地方は過疎化なども現在進行中なのだが、そのために土地や建物が安く買えたり、地方の物産とか都市にはない資源もあり、気持ち次第ではそれらを活用することも可能だろう。ただ、都会と同じようには暮らせないということはある。それは、ないものは自分で作らないといけないということでもある。

基本的にガンガン働いて稼いで使う人にとっては、遊ぶ場所としては都会の方が断然良い。遊び場の多様さや数は圧倒的だし、人の目をあまり気にせずにエンジョイできるからだ。けれども、ただそういうタイプではない場合は、選択肢は少なくても経験のクオリティの方が重要になってくる。

やっぱり田舎の山の幸や海の幸のコスパは、すごい。っていうか、自分で収穫することもできるし。都会だと、美味しいものを食べようとすると大体高い値段のものになってくる。

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例えば、東京にいると時々はファストフードもいいかなとか思うのだけど、田舎にいるとそういう気が全く起きない。もちろん、そのような田舎にもファストフードのチェーン店はたくさんあるわけで、そこで消費する人もまた、たくさんいるわけだ。けれども、たまにしかその土地に行かない人からみたら、その地元の食べ物の希少価値がよく分かったりするのだ。

今はインターネット環境はかなりの田舎でも普及しているし、都会と同様の情報やモノを簡単に手に入れられるインフラは整いつつある。

幅広く高い専門性に触れるには都市はうってつけの場所であることは確かだけれど、これっていうものが見つかってそれを深めていく時には、必ずしも都会でなくてもいいこともあるかもしれない。地方でよくアーティスト・イン・レジデンスとかするのも、創作活動に打ち込みやすい環境であるということが理由のひとつなのだろう。要は何をどのようにやりたいのかということなのだ。

あと、都会と田舎を往復するのも楽しい。一般的には都会の住人たちは、大型の連休になれば、だいたい海や山に向かうわけだけれども、多くの田舎にあるレジャーの場は、ベストシーズンにはたくさんの人が都市から押し寄せて、ほとんど都市部と同じくらい多くの人たちでごった返すことになる。

僕は休日にまで、わざわざたくさんの人が押し寄せる場所に行く気にはとてもならない。列に並びたくないとかいう個人的な資質も関係していると思われるが、それはストレスを受けることが目に見えているからだ。それならば、一般的にはレジャーの場所だと思われていないけれども、環境の良いところを見つけてゆっくりとしてリフレッシュした方がいい。そういう場所はたくさんある。

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ということで、最初にあげた「都落ち」という言葉の中に含まれているマイナスイメージのニュアンスは、現在、実感として少しづつ変化している田舎の実情に即してないように思われるのだ。それを単なる優劣関係だけと捉えているのは素朴な差別観のようにさえみえる。

たぶん、「都落ち」という言葉をネガティブに使用して貶める人は、地方だけでなく、発展途上の国々も差別しているだろうし、反対に自国より強い国にはへりくだるのだろう。おそらく、個人の立ち振る舞いのレベルでもそうなのではないかと勘繰ってしまう。つまり、関係の上と下を分け、それを強化しながらうまく立ち回ることに特化した人なのだと思われてならない。それは別に法を犯しているわけではないけれど、そのような人ばかりが生き残る社会は結果としてどこかで行き詰まりやすくなるのではないだろうか。

(了)

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