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「ポーランドの京都」とも呼ばれているクラクフは、中世の街並みがそのまま残っているヨーロッパ有数の古都。そして、この街のユダヤ人居住区「ポドゥグージェ地区」は、映画『シンドラーのリスト』のロケ地としても有名で、第二次世界大戦中、凄惨な出来事があった場所。ここでは、当時の痕跡を残すとともに、近年の再開発によってオシャレな場所のひとつにもなっている、この「ポドゥグージェ地区」をご紹介。

中世の街並みを今に残す古都・クラクフ

ポーランド第3の都市・クラクフ。17世紀にワルシャワに移るまで、この街は、ポーランド王国の首都でした。第二次世界大戦の時、ポーランドのほぼ全域が壊滅的な被害を受けたのですが、この街はほとんど被災しなかったので、古い街並みがそのまま残されているのです。
もともとクラクフには、多くのユダヤ人たちが住んでいました。その理由は、中世の頃に、ヨーロッパ各地で迫害を受けたユダヤ人たちが、宗教的に寛容な政策をとっていたポーランドに移り住んだからだとか。そして、とくに多く住んでいたのが、14世紀頃に歴史をさかのぼる「カジミェシュ」と呼ばれる地区。

その「カジミェシュ」を南下して、ヴィスワ川を渡ったところ。そこに今回ご紹介する、「ポドグージェ地区」があります。

ユダヤ人居住区「ポドゥグージェ地区」とは?

この「ポドゥグージェ地区」は、第二次世界大戦時、ナチスがユダヤ人たちを強制的に集めて住まわせた「ゲットー」があった場所。もともと、3,000人ほどのユダヤ人たちがここに住んでいたらしいのですが、そこに15,000人が押し込められていたそうです。当時は周囲を壁に囲まれていて、外観とは完全に隔離されていました。それまで壁の外にあったユダヤ人の商店や学校などの施設も、このゲットーのなかに移転され、多くのユダヤ人たちが苦しい生活を強いられていたのです。

ここで多くの命が落とされたそうです。また、この地区から、多くの人びとがアウシュビッツなどの収容所に送られていきました。そして、最終的に生き残ったのは、ほんのわずかな人たちだったとのこと。

修復作業で昔ながらの街並みが甦っている

戦後、この「ポドゥグージェ地区」の街並みは荒廃してしまっていたのですが、現在では修復作業が進んでいて、シナゴーグ(ユダヤ教の寺院)やユダヤ人墓地など、ユダヤ人街の昔ながらの街並みが蘇っています。また、ユダヤ料理を食べられるお店もあったり、独特な雰囲気の観光地としても人気のエリアに。映画『シンドラーのリスト』の舞台となった工場跡も、現在では博物館になっていて、1930~1940年代のクラクフの様子を資料や映像でみることができます。

歴史の重厚さと最先端の文化が同居するエリア!

ヨーロッパでも最も美しい都市のひとつに数えられ、ワルシャワに首都の座を譲った今も、文化・芸術・学問の都として栄えているクラクフですが、それは悲劇の舞台となった「ポドゥグージェ地区」も例外ではありません。とくに近年の再開発によって、魅力的なカフェ&バーやレストランなどがたくさんオープンしていて、クラクフで最もスタイリッシュでオシャレな地域とまで言われるようになっています。流行に敏感なポーランドの若者たちも集まっているようですよ。

おわりに

中世の街並みを今に残すポーランドの古都・クラクフにある、ユダヤ人居住区「ポドゥグージェ地区」。歴史に関心のある人はもちろんのこと、カフェやレストランがたくさんあって、さらにはアートなどの文化活動も活発で、とっても魅力的なこの地域。クラクフを訪れる際には、ぜひとも足を運んでみてほしい場所。街の中心部から徒歩でも行くことができるので、アクセスも簡単です。

掲載内容は執筆時点のものです。
2016/03/04 訪問

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